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心が信じているものを体験する|思考(潜在意識)の現実化の仕組み

SHO

「思考の現実化の法則」は「心が信じているものが現実となる」ということですが、これは目覚めていくに当たっても理解が必要な法則です。

なぜ理解する必要があるかと言うと、「心が信じていること(幻想)」のせいで、目覚めが阻まれているからです。

私達が現実だと思っている世界は本当は幻想ですが、この記事ではそこはいったん置いておいて、現実化という単語を使っていきます

なので、心の仕組みと、現実(幻想)との関係性を理解していくことが不可欠となります。

これは非常に多くの人が陥っているポイントであると思いますので、ここで詳しく解説してみます。

マインド(心)が信じていることが体験を作っている

まず、人は必ずといって良いほど

「私が今幸せでないのは、外側が原因である」

と言います。

もしくは

「幸せになるためには、外側が〇〇に変わる必要がある」

ですね。
これらは同じことです。

なぜなら「私の幸せは、外側次第である」という信念の表れだからです。

でも、これは真実なのでしょうか?
もしそうだとしたら、それは悲報です。

なぜなら「その人の幸せは外側次第で揺れ動く」ということになるからです。
これは悲報ではないでしょうか?

しかし、真実はそうではありません。
すべては内的なもの、つまり心が作用した結果に過ぎないからです。

でも、最初はそうは思えないところからスタートすると思いますので、一緒に順々に見ていきましょう。

心が現実になると言っても、それにはいくつかの「レベル」があってそれが層のように連なって作用するので、それを順に理解していきましょう。

1
現実化の仕組み

心(表層意識)の現実化作用

まずは表面的で分かりやすい作用から見てみましょう。

例えばあなたがドーナツを食べたいと思ったとします。
そして、あなたがドーナツのお店を探したとします。

ドーナツを選んで、店内で食べます。

さて。
なぜ今、ドーナツが目の前にあるかというと、あなたの心が「ドーナツを食べよう」と思ったからです。

なのでドーナツを目の前に出現させたのは、あなたの心です。

逆に仮にドーナツ屋さんが見つからなかったとして、あなたはなんとしてもドーナツが食べたいと思い、今度はコンビニでもなんでも探すかもしれません。

それも心の作用です。

もしくは
「まあ今度でいっか。」
と思い、探すのを諦めるかもしれません。

でもどちらにしても、
あなたの心の思った通りになっているとは思いませんか?

(食べたいと思う”思いの強度”の通りに現実化されているということです。)

こんな”当たり前の事象”が「心が現実を作っている」ということの一端であり、入口です。

こういった「心が現実を作っている」という話は、もっとメルヘンな話だと思われていることが多いと思います。

もちろんそういった作用もあるのですが、それは後ほど取り上げましょう。

まずはこういった日常的な当たり前の現象もすべて「なるほど確かに心の結果だな」と納得するところからスタートして欲しいと思います。

では、これだけではきっと納得がいかないでしょうから、さらに説明していきますね。
これは確かにまだ「一端」です。

2
現実化の仕組み

心(潜在意識)の現実化作用

心はもっと深く、無意識的な領域が存在します。
潜在意識などと呼ばれるものです。

(名称は重要じゃないのでなんでも良いです。無意識的な領域と捉えてください。)

先ほど説明したドーナツの例は、表層の意識(顕在意識)のレベルの話です。

でも、ほとんどは無意識、潜在意識が作用をしています。

潜在意識とは何かというと、本人が認識できていないほど当たり前に思っていること
言い換えると、信じ込んでいること(=信念・観念)です。

例えばあなたが

  • どれくらいお金を重要だと思っているか
  • お金が減ることにどれだけ恐怖を抱くか

こういったことは無意識的です。

そうですよね?

心の深いところで、これは「既に決まって」います。

これが「心が無意識的に信じていること」です。

本人がいちいち自覚していないこと、です。
現実になるのは表層的な思考よりも、この深層的な思い込みがほとんどだと捉えてみてください。

例えばこれによって、その人の人生における「お金の体験」は形作られていきそうだと思いませんか?

「私はお金持ち」といくら表層のところで唱えてみても、心の深層で「実は違うよね・・・」と思っているし、それはなかなか変えられず、誤魔化せないということです。

他にも例えば、先程のドーナツの例で、その人がなぜドーナツを食べたいと思ったかというと、意識的ではありません。
彼・彼女に自由意志はありません。

勝手に「なんかドーナツ食べたい」と浮かんできてしまったんです。

でもこれは、それまでの過去の経験から来る、潜在的な欲求が表層に現れてきたということであって、ほとんど無意識的です。

実際、あなたは明日自分が何を食べたくなるか予測できますか?
できないのではないでしょうか。

これは「自動的」だからです。

こんなふうに、潜在意識は「自動的」という特色が強い心の領域です。

プラシーボ効果と呼ばれるものも同じですね。

プラシーボ効果・・・例えば「これを飲むと治る」と言われて、なんの効果もない錠剤を飲んでも、本人が治ると信じているために本当に効果が出る現象のこと

3
現実化の仕組み

心(集合的な潜在意識)の現実化作用

ここまで心には

  1. 表層意識
  2. 潜在意識

が層を成していて、それぞれが関連しあいながら現実化の作用をしていることを確認してきました。

ですがさらにその下に3つ目の層が存在します。

それが「集合的な無意識領域」です。

これはこの中で最も意識されておらず、認識しづらいところです。

まずおさらいすると、お金であれ恋愛観であれなんであれ、個人個人の心に無意識的な領域がある話を先程しました。

しかしそれがどのように形成されたのかというと、それがまさにこの集合的無意識から形成されています。

例えば、最も思いつきやすいのは両親の影響だと思います。
しかし両親もまた、そのまた両親から影響を受けて、無意識的な価値観(=観念)が形成されているわけです。

では始まりはどこなの?
となりますよね。

しかし、これはどこまで辿っても見つかりません。

(だからどんなことも、個人の問題とは呼べないんです)

ここで少し視点を変えてみると、これは例えば『日本という国の価値観』だと言うと、捉えやすいのではないでしょうか。

「日本」という国に蔓延している「常識」や「価値観」があって、これの影響をすべての人が受けて心の中身が形成されていくというわけです。

なので例えば日本という国に訪れる未来は、日本人全員の意識が影響されて決定されていきます。

(そうですよね?)

さらにその日本の価値観も、地球全体の人類の集合意識の一部です。

こうして、個々人の心は集合意識に必ず影響されており、

その結果見えてくることとして、個々人の心は独立していません。

なので、個々の心だけを見ていても、現実化においてよく分からない点が出てくるのは当然なのです。

全体的な視点から自分を理解していかなければなりません。

また、個人的要素の中でも生まれつきの要素などは業(カルマ)の話になってくるのですが、これについては別記事にまとめてあるので、そちらを読んでみてください。

心はつながっている(この世にはたったひとつの心しかない)

さて、ここまで心の構造を大まかに3つに分けて確認してきました。

  1. 表層意識
  2. 潜在意識
  3. 集合意識

そして、この構造を理解すると分かってくるのは、
「では私オリジナルの心とはあるのか?」
という部分です。

なぜなら、私の心の価値観は元を正すと集合意識から来ているし、「全体から受けた影響の集合体」だからです。

(持って生まれたある程度の傾向性、についてはカルマ(業)の記事を読んでくださいね)

あわせて読みたい
スピリチュアル的なカルマの法則の意味を解説。解消の方法についても
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結論として、本当は「個人の心」というものは存在しません。
「たったひとつの心」があるだけです。

これをスピリチュアルではワンネスと言ったりします。

これもどういうことか、体感的に理解していただきたいので、説明していきます。

まず、あなたが感じる思いの結果を体験するのは、あなた一人ではありません。

例えばあなたの心は、触れ合う人の心の状態によって影響を受けますよね。

なんだかピリピリしてる人と触れ合ったら、落ち着かなくなるかもしれませんし、ホンワカ幸せそうな人と触れ合ったら自分も落ち着くかもしれません。

これは、心は独立していないという事実を表すことになると思いませんか。

なぜなら、「独立している」とは「影響を受けない」ということだからです。

ここは良かったらよく考えてみてください。「独立している」って一体どういうことだろう?と。この記事ではいったん先に話を進めていきますね。

なので、

プライベートな心などというものは存在せず、1つのパブリックな空間の中に様々な心の現象があるだけ

ということです。

完全にあなたオリジナルの心の領域などというものは存在しません。

(すべては全体の心の中の影響から出来上がった、”一時的な状態”に過ぎません)

たったひとつの大きな心。
いわば大いなる心の中で、いくつもの(個人のものと思われている)思考や感情が浮かんでいるだけです。

なので、この「心が信じていることが現実となる」という法則について理解する上で、

「心は分離している」という、分離した個人の視点からでは、完全には理解できないようになっています。

ではどのように心を変えて、(思考の)現実化を変えていけば良いのか?

ここまでで、心(思考)と現実化の仕組みが分かってきました。
これを理解した上で、では実際に何をどうしていけばよいのでしょうか?。

自分の心の中身を知る

まず、『自分の心の中身』を知らなければいけません。

ここまでは「普遍的な心の構造」についてまとめてきましたが、私たちは私たちの心を知らなければなりません。

それがこの世での各人の仕事の前半部分です。

後半部分については、目覚めた後のお話になりますが、それはまたいずれまとめますね。

どの人の心も絶対に同じ構造に沿っていますから、ここまで理解してきたことに当てはまるはずです。

なので、自分の心をこの構造に当てはめて観察してみることです。
知識として知るのと、「実際に目撃する」のでは天と地ほどの差があるので、実際に気づくプロセスが必要になると思ってください。

なので、多くのマスターたちが言うように、自己の内面に注意を払い、

自分の心はいったいどうなっているのか?

を知っていくことです。
それがスタートです。

内面の観察法は様々な素晴らしいものが既に世の中で提唱されています。
しかし、実はどの観察法も本質的には同じことを示しています。

それが

「考えるのではなく、感じることによって気づく」

ということです。

観察、内観についての詳細な掘り下げは別記事にまとめていく予定なので、お待ちください。

【重要な点】自分の信じていることを疑うのは難しい

自分の心を知っていく上で、重要なポイントがあります。

それは「自分の信じていることを自分で疑う」のは非常に難しいということです。

これを理解してもらうためにまた、例え話を出しますね。

ある女の子とお母さんの会話

女の子「ねえお母さん、トイレ行きたいけど、怖い・・・」

お母さん「大丈夫。怖くないよ?ほら、いっておいで」

女の子「でも、お化け出るかもよ?」

お母さん「出ないよ。大丈夫だから、いっておいで」

女の子「でもこの間、誰もいないのになんか音したもん」

お母さん「それはお化けじゃないのよ。大丈夫。」

女の子「でも、(以下略)」

この女の子は自分の心が信じていることに縛られており、そこから抜け出せません。

お母さんが「それはあなたが信じている幻想であって、本当は大丈夫なのよ」といくら言っても、本人が自分の信念を疑わなければ、ずっと怖いままですね。

でもこうして外から眺めてみると、本人が
『自分が信じていることは事実ではない』
と気がつくのはとても難しいとは思いませんか?

この女の子が自分の心を観察しても、「お化けは怖い」が真実ではないだなんて、中々疑えないということです。

「だって、実際に怖いもん。」
と。ただ、それは自分がそう決めた、信じたから感じているのであり順番が逆なのですが・・・

 

本人は「そう感じているから、真実だ」と言うのですが、本当は逆で「そう信じた(決めた)から、そう感じているだけで、真実ではない」んです。

 

こうして、本人には順番が逆だとはどうしても思えない・・・という仕組みになっているということです。

例えば、DV夫と別れられない人。

「別れた方が良いよ、あなたのためよ」

「でも、別れちゃうと一人になっちゃうし、そしたら生きていけない・・・」

会社をやめたいけどやめられない人。

「もう会社やめたい・・・」

「辞めたら良いと思うよ。」

「いや、でもね。会社やめちゃうと他に生きる手段がないし・・・」

これはすべて「信念」であり「真実」ではありません。
そしてその人が信じた通りに現実が展開されています。

しかし本人はそれを「信念」だとは思っていませんよね。
本人の中では「事実」で「当たり前」になっているので、「疑おう」という発想すらないんです。

(もしくは疑うことを怖がっています)

なのでその人が「こうなって欲しい」と思っていることではなく、「これが事実!現実!」と無意識に思い込んでいることが現実になっていることが分かると思います。

(この人と別れて生きていくなんてできるはずがない。会社をやめて生きていくことなんてできるはずがない。などですね)

こうして人の心は『同じパターンの範囲内』をずっとグルグルすることになります。
人生とは、同じ信念のパターンの繰り返しです。

ここで『私にはそういったことはない』と思ってしまいがちです。
しかし、自分にも自分が気が付かない思い込み・信念があるのかもしれないと思ってください。

なぜなら完全に目覚め、自由になっていない場合は必ず、無自覚な信念があるからです。

例えば。

この世界は幻想ですが、あなたはそんなこと考えもしないかもしれません。

あなたの目の前にある机・壁・コップ・・・そしてあなたの体は、本当は幻想だなどと考えもしないかもしれません。

なぜならそれが当人にとって「当たり前」だからです。

(ただ、冒頭で言った通り、この記事では「世界が幻想であるとはどういうことか?」の話はいったん置いておきますね。これはまたいずれ別の機会にまとめます)

まずは、
『自分が信じていることを自分で気づくのは本当に難しいことなのだ』
ということをぜひ自覚してください。

自覚した上で観察するかどうかで、結果が大いに変わってくると思います。

では次に、どうやって気づいていくのか?
に入ります。

それは「心の反応」を観れば良いということになります。

心の反応を観る

心の反応には、必ず

「その人が今、何を信じているのか?」

が含まれ、映し出されています。

ここまで確認してきたように、どんなことも「自分の心と無関係」ということは絶対にありません。

その人の体験は当人の心と必ず関連しています。
全ては心が元となって現実となっているからです。

なので『出来事への反応』が自分の心を知るための材料です。

人は何か出来事に直面すると、何らかの『反応』が出ます。
それが好ましくないものであれば、たいてい動揺します。

この『反応』がポイントです。

反応自体に自分の心の反映があり、
それを知ることでカルマ(業)を破り、運命を変えることができます。

では、反応を観て(観察して)いきましょうということになるのですが、

ここでポイントになるのは、

「思考は真実ではない」

という”在り方”です。

どういうことかというと、

例えば何かその人にとって嫌なことが起きたとします。
そうすると嫌な気持ち・嫌な感覚になりますね。

流れにすると

①嫌なことが起きる

②嫌な気持ちになる

ですね。

これが『反応』です。

ただ、実はこの①と②の間には、通常認識されていないプロセスが挟まっています。

“心の速度”があまりにも早く、様々なプロセスが一瞬にして起こるために見逃してしまっているだけです。

ではどんなプロセスが挟まっているのかというと、それが「思考」です。

出来事が起きると、まず思考が起きています。

「これは・・・まずいぞ。こんなことが起きてしまうと、この後〇〇になってしまうかも。」

というような思考かもしれません。

そしてこれだけではまだ嫌な気持ちにはなりません。
実はさらに次のプロセスがまだ挟まっています。

それが
「この思考を信じる」
というプロセスです。

どういうことかというと・・・

少し実感してもらいたいので、例えを出しますね。

例えばあなたが誰かから
「明日、あなたは事故に遭いますよ」
と言われたとします。

まあ多少は嫌な気持ちになるかもしれませんが、
でも、あまり影響を受けませんよね。

なぜなら「ほとんど信じていない」からです。

(言われる人をどれだけ信頼しているかによっては影響を受けるかもしれませんが・・・)

これが何を示すかと言うと、
その人の心が「信じていない」ことは、その人に影響を及ぼせないということです。

なので、

「思考が発生する」→「思考を信じる」

というプロセスがあって初めて。

思考は現実的な効力を発揮します。

これらのプロセスを再度まとめると、↓のようになります。

反応のプロセス

①嫌なことが起きる

②その出来事についての思考(ジャッジ)が起きる

③その思考を信じる(=その思考が現実味を帯びる)

④嫌な気持ちになる

この構造をぜひ理解してください。

③でその思考に現実味・真実味を本人が与えているから、
④の反応が起きるということです。

ただ大抵の場合、①~④までのプロセスは「自動的に」起きてしまい、コントロールできません。

『過去に決めたこと』が自動的な反応となって起こる

この「自動的であること」は、大きなポイントなので解説しておきます。

反応が「自動的」に感じられてしまう点は、「反応」は信念ではなく真実だと感じてしまう大きな要因です。

例えば、あなたが虫が嫌いだとします。
虫を見ると『ウワッ!!』反応が起きます。

自動的に。

(これをあなたはコントロールできません。そうですよね?)

「自動的」だからこそ「変えられない」ように感じてしまいます。

この、

『反応は自動的でどうしようもない』という”感覚”が、
『この反応は真実である』と感じてしまう大きな要因となっている

ということです。

よくよくこれを噛み締めてみてください。

だって、もし
「よし、反応の仕方を変えよう」
なんて簡単に変えられたら、その反応を真実だなんて感じませんよね?きっと。

なのでこういった仕組みで
『虫が気持ち悪いのは信念ではなく、真実だ!』
と感じられてしまうということです。

でも「虫が気持ち悪い」ことは真実ではありません。
そうですよね。
だって、人によって反応が違うわけですから。

(すでにこれに「ええ?真実だと思う」と抵抗が起きている方もいるかもしれませんね。)

もっと言うとその人が赤ちゃんの頃からそう感じていたわけではないわけです。

なので、やはりこの反応(の背後に隠れている信念)は真実ではありません。

「私」は私の世界の創造主なので、「私」の決めたことは私の世界において”絶対”の効力を持ちます。

「私」が「虫は気持ち悪い」と決めたら、絶対そう感じるということです。

これは、あまりにも当たり前にそうですよね。
当たり前なので、これは『法則』です。

なので反応の中に観えることは、

『創造主として私は、どうやら過去に「これは〇〇だ」と決めたらしい』

ということです。

そしてそれは、私に幸せを本当にもたらしているのでしょうか?

なので反応が出た時点で”気づく”こと。
そして、反応のプロセスを遡って”疑う”ことが大切です。

※疑う、というより「信じないで、ただ眺めてみる」といったニュアンスです。

それが訓練であり、修行になってきます。

「これは自分が作り出した思考。つまり幻であって、真実ではない」

と選択し直すことです。

『現実の好転』を目的とするとうまくいかないのはなぜか?

『選択し直す』

と言いましたが、ここは繊細な理解が必要なところです。

ここで良くある過ちが、
「都合の悪い信念は、都合の良い信念に書き換えれば良い」
という発想になってしまうことです。

思考の現実化の仕組みを「現実の好転」のために”利用しようとする”ということなのですが。
これはあまりうまくいきません。

なぜかというと、

『現実を好転させよう』

という思いの裏には

『今、問題(恐れていること)があります』

という信念が裏書きされてあり、その潜在的な信念を証明することでしかないからです。

これは冒頭で真っ先にお話した

『私の幸せは外界次第で揺れ動くものだ』

という信念そのものです。

「現実の好転」に焦点を当て続けていると、裏に隠れているこの信念が現実化してしまいます。

「私の幸せは外界次第なので、だから外界を変えようと思います。」
ということですね。

よくよく見つめてみてください。
「私の幸せは外界次第なので」
この思いがある限り、このループは終わりません。

無自覚的にここから永久に抜け出せないということです。

実際、創造主である「私」が「私の幸せは外界次第だ」と決めているので、当然そうなります。
当然の法則、当然の結果です。

補足ですが「現実を好転させてはいけない」ということでもありません。抜け出したい現実がある場合は抜け出してください。大切なことは『実はすべては重要ではないので、好転しても好転しなくてもどちらでも良い』と理解すること、それがゴールであることです。この次元を超越的な視点で観ることが最終的に必要になると理解してください。(それがこの次元を超えること=目覚めること だからです)

表面的に思っていることではなく、その人が「これが事実!」と無意識的に信じ込んでいることが現実となる、と確認してきましたね。

なので『現実の好転』はけっきょくはうまくいかないし、もし表面的な事象が変えられたとしても「何か満たされない」という体験の本質はずっと続いてしまうということです。

(満たされない・・・という想いを抱えたままなので、満たされない体験が続くということです。)

表現を変えると、

『この次元の物事にこだわる』

『私はずっとこの次元に縛られ続けます』

という宣言・信念になります。

心(マインド)の力は強力なので、実際にこれが現実化されてしまうというわけです。

この信念に気づかないことはある意味恐ろしいこととも言えます。

(表層的な事柄が多少は変わったりするので、ある程度はうまく言っている気になってしまい、なおさらこのループに気づきにくくさせる要因でもあります。)

ではどうすれば良いのか?というと、

「マインドが信じていること(思考)が現実化する」というこの法則を、

外界を変えるためではなく、『目覚めるため』に使っていくこと

が大切になります。

目覚めと心の関係性

すべてのことが『目を覚ますこと』に繋がっていく必要があります。

なぜなら目覚めることだけが

『苦しみの根絶』

つまり、

『私達が最初から内包している、永遠に崩れることのない真の幸せ』
に繋がっているからです。

そして、なぜ目覚めがなぜ起きないかというと、

その人の心が目覚めを拒否しているから

です。

これは最初は信じられないかもしれませんが、振り返ってみてください。

自分で信じ込んでいることを自分で気づくのは難しいこと。

それから

その人の現実はその人が信じている通りになっている

ということ。

つまり、今目覚めていないのならそれは『当人の心の思っている通りの事象なはず』ということです。

ここを手がかりに出発してみましょう。

まず、私たちはこの次元に非常にこだわっています。
それはこの次元の事象に対する欲望と呼んでも良いです。

それはつまり、『この次元にい続けたい』という想いですね。
(だからこそこの次元に生まれ、実際にこの次元にいるわけです。これがカルマでもあります。)

裏を返すと

この次元の体験が不要になった心(人)

この次元を卒業する心(人)

ということになります。
(これが、アセンションと呼ばれているものであり、目覚めることです)

しかしでは『この次元の事物にこだわらない』ことをやろうとしても。

これが難しく、怖いんです。

例えば、

  • 人に好かれるかどうか気にしない
  • お金が稼げるかどうか気にしない

・・・怖いですよね。

だから、これまた当人の心が信じているとおりに「現実に振り回されている」んです。

  • お金にこだわるのなら、お金に振り回される
  • 恋人にこだわるのなら、恋人に振り回される
  • 家族にこだわるのなら、家族に振り回される

そうですよね。
ここで一度読む手を止めて、ぜひ自分の人生・日常を省みてみてください。

『私は日々何にこだわり、何に振り回されているだろう?』



でも、こだわりたい。
もしくは、こだわらないなんて嫌だ。(もしくは、無理だ)

という思いが湧いてくるかもしれません。

これが信念に縛られているということです。
自縄自縛のループであり、輪廻です。

これは家族やお金、その他諸々をないがしろにせよということではありません。「あるがままにさせておく」ということであり、「コントロールしようとしない」ということです。
 

「コントロールしよう」とは「コントロールできていない」と潜在的に信じていることの裏返しなので、いつもうまくいきません。

(人生を振り返ると、そうですよね?なんで思い通りにうまくいかないの?というのはこういう仕組みです)
 

それは求めずに与えるということでもあります。求めないということは、囚われていないからです。

なので、

「信念を書き換える」のではなく
「信念を解除していく」ことが大切です。

信念を書き換えるのは、「コントロールする対象や、コントロールの仕方」を変えようとしているだけに過ぎないからです。

執着、こだわり、左右される性質、はそのままです。
一時しのぎであり、根本的なものではありません。

こうイメージしても良いかもしれません。

空が「私たちの存在そのもの」であり、
漂う雲がその認識を阻む「信念」です。

雲にはかかずらわないことです。
雲の形を変えようと躍起になっても意味はありません。

雲の方がなまじ形がある分、実体があると思ってしまいがちですが、本当の実体(本当にいつまでも消えないもの)はその背後にあるものの方です。

形あるものは見過ごして、空そのものだけを認識することです。
そこにこそ自由があります。

これを言い換えると、

すべての信念(幻想)がなくなった状態こそ、幻想がない状態です。
それが真実そのものであり、目覚めた状態になります。

そのとき、信念(幻想)ではなく「本当の私」の状態が現実にも“自然と”映し出されるはずです。

自然と、がキーワードです。

「映し出す内容」をコントロールしようなどとせずとも、作為をもたずとも、勝手に。
やすらぎと喜びが映し出されることが、本当に自然な状態のはずです。

(作為とは、どこまで言ってもその正体は恐れでしかありません)

「コントロールしなければいけない」
が恐れ・不安の土壌です。

外界への恐れの反映です。

この信念が解除されていくとき、人は目覚めに向かい始めます。
真に自分に「主権」を取り戻しはじめます。

私たちは本来、外界の奴隷ではないはずです。
外界に左右されず、自己そのものに安らぎや、喜びが備わっているはずです。

不幸が消える、とは心の中で、
もっと言うと心を超えたところから起きていくものに違いないのですから。

まとめ

最後にこの記事で伝えてきたことをまとめます。

  • 心が信じていることが現実になる
  • 信じていることとは「こうなって欲しい」ではなく、その裏に隠れている「これが当たり前。事実。」という思い込み・信念のこと。
  • 個人の心は存在せず、たった一つの心があるだけであり、その視点からしか本当には理解できない
  • 実地で法則を理解するために、まずは自分の心の中身を観察していくことが重要になる。
    (ただし自分で自分の信念に気づき、それが真実でないことに気づくのは非常に難しい)
  • 出来事への反応に自分の信念が表れている。それを観ることで無意識の信念に気づける。
  • 「現実を好転させよう」とすると逆効果になる
    (なぜならそれは現実には問題がある、という不満の信念なので、それが現実化してしまうから)
  • なので「目覚め」のために心の法則を活用することが脱出口になる
  • 「信念」をすべて解除すると、「目覚め」の状態となり、存在の本質である愛とやすらぎが”自然と”認識される
    (実は現実化するかどうかは重要ではなく、外界に関係なく感じられることを知る・・・が、皮肉なことに外界がどうでも良くなって始めて、外界も真に変わることとなる。)

ここで語られたことが、あなたの幻想を消し去り、束縛を打ち破り、自由へと繋がることを祈ります。

道を共に歩む兄弟たちへの感謝とともに。

SHO

ABOUT ME
SHO
高熱を出したことをきっかけに、意識変容のプロセスが始まる。そのプロセスの中で発見された真実を分かち合い、皆で目を覚ましていくために必要な理解を伝えるメッセージを発信中。(現在は主にメルマガ、note、ブログ記事、Youtube、Twitterにてメッセージを発信中)
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