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【実体がない世界】この世は幻?ワンネスに繋がる「真の認識」について

SHO

この世のすべてには「実体」がありません。

これは

  • この世は幻
  • 分離などない(=すべてはひとつ)
  • 無我の境地

などと言われる話と同じ話になってきます。

(これらはすべて同じ真実を別の表現で表しただけのものです)

ですので「この世のすべてには実体がない」という理解は、ワンネスの認識には必ず必要となってきます。

文字では中々伝わりにくいので今まではセッションでだけ伝えていたのですが、今回その一部を本記事にまとめてみます。

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この世のすべてには実体がない

そもそも「実体」とはなにか?

ワンネス(すべてはひとつであるという真実)を理解するためには、すべてに「実体はない」ということを理解する必要があります。

これは、仏教においては

  • 諸行無常
  • 諸法無我

という真理として表現されています。

『すべては移り変わってゆく(=諸行無常)実体のないものだ(=諸法無我)』という意味です。

さて、ここでポイントになってくるのは

「実体」

という言葉のニュアンスですね。

実際セッションでも

疑問
疑問

そもそも「実体」ってなんですか?

という質問をされることが多いので、ここから説明しようと思います。

「実体がない」

そのニュアンスを掴むためには

「本体がない」

と言い換えて捉えても良いかもしれません。

要は存在としての本質がない、ということです。

例えば雲や霧、または蜃気楼のような現象を思い浮かべてみてください。

本体と呼べるものがどこにもなく、したがって「実体」がありません。

(雲も結局のところ空気中の水分が気温や気圧などによって、目に見える状態になったり目に見えない状態になったりと変化しているだけのものですよね)

掴みどころがなく変化するために、

それは「存在する」とは言えないものです。

(存在性を有しているとは言えない、と言っても良いかもしれません)

存在した!と思った次の瞬間にはもう違う形になったり、消えたりしてしまうものですよね。

これが「実体がない」という言葉の指し示すニュアンスです。

では、それが
「この世のすべてに当てはまる」
と聞くとどうでしょうか

なるほど確かにそうだな、と思うでしょうか。

それとも、

「ええー?全て?流石に実体があるものもあるでしょう」
と思うでしょうか。

でも今回確認したいのは、

この世のすべて。すべからく、「実体がない」ということです。

それを一つ一つ、具体例を挙げて、確認していきますね。

1
私たちが「存在」と信じるものの曖昧さ

川に実体はあるか?

まずは「川」を見てみましょう。

川には実体があるでしょうか?

考えてみてください。
川は存在すると言えるのか?

「いや、そりゃ、存在するよね」
とほぼ全ての人が思うと思います。

ではだとしたら、川とはこの写真の「どれ」のことでしょう?

差し示せますか?



大体の人は流れている水を指さして
「いや、これ、これが川」
と言いますよね。

では例えばですが、砂利はどうでしょう?

川のうちに入るでしょうか。

水の中に点在している石は?
河原は?
どこからどこまでが川?
逆にどこからは川じゃない?

意外と曖昧ですよね。

この辺から、人によって回答にバラツキが出てきます。

もっと言うと、この水が川なのだとしたら、この水を全部移動させて、空っぽのダムに入れたらどうでしょう?

それは川ですか?

もう川じゃなくなってしまうのではないでしょうか。

でも川に実体があるのなら、
どのようになっても絶対川と呼ばれ続けるはずです。

それが「存在」と呼ばれるものの性質だからです。

でも現実はと言うと・・・

「川」と呼ばれるものが、

下流に流れ込んで「海」と呼ばれたり、
今度は蒸発して「雲」と呼ばれたり、
今度は都市部に降って「雨」と呼ばれたりします。

どこに実体があると言えるんでしょう?

「こうして確かめてみると意外となんとも曖昧なものだな」

と感じられ始めたのなら、伝えたいことの一端が伝わり始めています。

これは、さきほどの雲や霧、蜃気楼などと似ていませんか。

形がすぐ変わってしまうために実体があるとは言えないもの。
どんどん確かめていくために、例を見ていきましょう。

2
私たちが「存在」と信じるものの曖昧さ

紅茶に実体はあるか?

次の例は、「紅茶」にしましょう。

紅茶には実体があるでしょうか?

見つめてみてください。

これもまた、この茶色の液体を指さして、
「いや、これが紅茶」
と言う方が多いかもしれません。

しかし例えば、この液体をろ過して、茶葉成分と水に分離したとします。

そうしたら、そこに紅茶と呼ばれるものはもうなくなってしまうのではないでしょうか。

いわば「紅茶と呼ばれる前の状態」と言ってもいいかもしれません。

他にも、
この紅茶に、1リットル、2リットルとどんどん水を足していったらどうでしょう?

紅茶と呼ばれていたものは消えずに目の前にあるのに。

でもそれはもう、紅茶とは呼ばれなくなっていってしまうのではないでしょうか。

「実体がある」と思っているのは、ただ私たちがそう信じ込んでいるだけで、それはなんとも曖昧な概念に過ぎないのだと伝わってきたでしょうか。

では、次の例にいきましょう。

3
私たちが「存在」と信じるものの曖昧さ

日本に実体はあるか?

「日本」に実体はあるでしょうか?

何を指して、
「これが日本です」
と言えるでしょう?

大体の人は、大陸を指差すんじゃないでしょうか。

では例えば、日本人が全員世界中に散らばってしまったら、この大陸は日本なのでしょうか?

もしかしたら日本人がこの大陸ではない別の場所に集結したら、そこが日本と呼ばれる?
ではこの大陸は「日本の実体だ」とは言えない?

そもそも日本人って、どこからが日本人?
その定義は?
ハーフやクオーターは?
血は全く混じっていないけれど長い間日本で育った人は日本人か?

やはり曖昧ですね。

「日本に実体はない」
これが結論です。

日本というのは「架空の概念」に過ぎず、そこに実体はありません。

つまり、日本なんて本当は存在していないのです。

便宜上、「存在している体」にして、私たちは生活しているだけなんです。

(事実、自分たちでは国の存在を主張していても、そんな国認めない、と周囲の国に言われて存在を認めてもらえない国なんかもありますね。結局「合意」ベースの実体のない幻ということです。)

4
私たちが「存在」と信じるものの曖昧さ

木に実体はあるか?

最後の例にいきましょう。

「木」に実体はあるでしょうか? 

これまで見てきた例の中で、一番「存在っぽい」かもしれません。

「実体がある」としか思えない?
どうでしょうか?

では、これもひとつひとつ確認していきましょう。

例えばこの写真を見ると、葉っぱまで含めて「木だ」と思いますよね。

しかしこの葉っぱが落ちたら、葉っぱはどうなるのでしょう?
「木だったもの(=もう木ではない)」
と言われますよね。

そしていつしか、「土」と呼ばれるようになります。

では、幹や枝が木の本体(実体)なのでしょうか。

しかしこれも伐採されたりして、違う形に組み立てられたら、今度は「家」とか呼ばれるのかもしれません。

木だったもの、と。

では木には実体はあったのか?



はい、木にも実体はなかったのだ。
ということになります。

こんな風に、

スピリチュアルや悟り、教えの中で説かれる「真実」というものは・・・私たちが直感的に感じている感覚とは違うことを示してきます。

そしてそれを本当に理解するには

「思い込み・主観を廃して」

見つめることが必要になってきます。

これは世の中のあらゆるものに当てはまります。

仕事、会社、夫婦、思考、感情、地球、太陽、宇宙・・・

この世のすべてには実体が見つかりません。
だから「この世は幻だ」というメッセージがありますね。

この認識によって、「束縛からの解放」が起きていきます。

「実体がある」と思って悩んでいたけれども、悩んでいたその対象には「実体がなかった」ということが分かってくるからです。

これは自分が好んでいる対象にも、嫌っている対象にも等しく適用されるため、ポジティブとネガティブが消えていくという方向になります。

しかしブログやメルマガで再三お伝えしていますが、消え去った先には何もないのではなく、「愛」があります。

これには色々な伝え方がありますが、今回はこう説明してみようと思います。

この理解は「ワンネス(すべてはひとつであること)」に繋がってきます。

「実体がない」からこそ、すべてがひとつ

束縛からの解放とワンネスへの繋がり

「すべてに実体がない」
ということは、個々の事物の中に実体などないということです。

ということは、
それらは「独立していない」。

それらを分ける境界線は、幻であり存在しないということです。

(=すべてはひとつであるということです。バラバラではない。)

例えば独立して存在しているように見える木には、実際には実体がなく。
どこからどこまでが木なのか、境界線が存在しないように。

すべてはひとつです。

バラバラに存在しているのではありません。

そして、これを自分にも当てはめてみてください。

全く同じことです。

「私」にも実体がないんです。

だから「ここからここまでが私」なんて境界線はなく、「すべては私」なんです。

1
「実体がない」からこそ、すべてがひとつ

「私の身体」にも実体がない

例えば、

「私の身体」なんかも、食べては排出し、食べては排出し、どんどん変わっていってしまいます。

そこには実体がありません。

「私ではないもの」を食べると、それは「私」と呼ばれるようになります。

「私ではなかったもの」が今や「私」です。

そして何かが「私」から排出され、

それは今度は「私ではないもの」と呼ばれます。

抜けた髪、切った爪、吐いた唾、かいた汗・・・そんな風に「私の身体」はグルグルと循環し続けているだけで、そこに実体はありません。

そしてその循環もやがて終わっていき、塵へと還っていきます。

最初から実体がなかったからです。

(生まれたときもそうです。私の身体はお父さんとお母さんの身体だったのです。そこに「個別の私」はいません。)

では「心」に実体があるのでは?と思うものですね。

2
「実体がない」からこそ、すべてがひとつ

「私の心」にも実体がない

しかし「私の心」も同様です。

  • 私の考え
  • 私の感情
  • 私の性格

こういったものは、どんどん変わっていきます。
外部(本当は内部も外部もないのですが)の影響を受けて。

前はこう考えていたけれど、今は違う考えをしている。
前はこう感じていたけれど、今は違う感じ方をしている。
前は怒っていたことに、怒らなくなった。
(そのまた逆も)

心は常に、変わっていきます。

もう以前と全く同じ心はどこにもありません。

実体がないからです。

だからこそ、すべての心は影響を与え合っていて、ひと繋がりです。

なぜ私たちの心が「ひとつながり」と言えるのかについては、別の記事にもまとめていますので、合わせてご覧ください。

あわせて読みたい
心が信じているものを体験する|思考(潜在意識)の現実化の仕組み
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3
「実体がない」からこそ、すべてがひとつ

分離とワンネスの関係

ここまで確認してきたように「実体がない」とは、「境界線がない」ということでもあります。

ということは、

実体がある → 独立している(境界線がある)

実体がない → 独立していない(境界線がない)

ということでもあります。

つまり、『独立していて、実体を持っているものなどこの世にない』という悟りが、ワンネスの認識をもたらしていきます。

逆に言うと「実体がある」という視点で世界を眺めている限り、目覚めはあり得ないということになります。

例えばスピリチュアルでは「本当のわたし」なんて言葉がありますが、多くの誤解を受けている言葉だと思います。

大抵の場合それは「個人としての私」のことだと誤解されているからです。

「個人としての私」は存在しません。
ですので、「個人としての私」が目覚めることはあり得ません。

つまり「”私が”目覚めた」ということは絶対にあり得ないということになります。

「個人の私が存在しない(実体がない)」という認識があるとき、そこには「目覚める者」が存在しないということが明らかになります。

それが「目覚め」です。

実在するのは唯一「すべてであるひとつの命」です。

だから
「あなたは神である」
なんて言葉もあります。

「あなたは人間ではない、すべてである」
という意味です。

だから「本当の私(全体性)」にだけ、実体があると言えます。

なぜなら、それは消えずに、変わらずに、ずっと存在し続けるからです。
それを認識することでしか、死(個別性の終わり)の恐れから解放されることはあり得ないということが分かってきます。

だからもし、

本当に苦しみを、恐れを、終わらせたいのなら

「そこに実体があるのか?」

を確認することをしていくことになります。

そうして「真の認識」が訪れることで、この夢の世界への執着(苦しみの根源)が終わっていくことになります。

まとめ

この世のあらゆるものに「実体がない」という真理は、私たちの固定観念を揺るがすかもしれません。

川や紅茶、日本、そして木といった具体的な例を通して見てきたように、私たちが「存在する」と信じている多くのものは、実は曖昧で常に変化し続ける概念に過ぎません。

この認識は、やがて私たち自身の存在にも及びます。「私」という個別の存在もまた、絶えず変化する身体や心の流れの中にあり、そこに不変の「実体」を見出すことはできません。

しかし、この「実体がない」という理解は、虚無へと向かうものではありません。

むしろ、個々の事物や「私」という境界線が幻想であることを知ることで、私たちは万物が繋がっている「ワンネス」という真実に到達します。

すべてが一つであり、分離などないという認識は、私たちを苦しめているあらゆる「執着」から解放し、真の「愛」と「自由」へと導く道となっていきます。

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高熱を出したことをきっかけに、意識変容のプロセスが始まる。そのプロセスの中で発見された真実を分かち合い、皆で目を覚ましていくために必要な理解を伝えるメッセージを発信中。(現在は主にメルマガ、note、ブログ記事、Youtube、Twitterにてメッセージを発信中)
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